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田原本町について

-田原本ってこんな町、こんなところ-

奈良県北部の大和平野は平坦な盆地を形成しています。周囲を山に囲まれ、川に挟まれた平坦地で夏は暑く冬は寒い典型的な盆地型気候です。その中央に位置する田原本(たわらもと)は、古くから「国中(くんなか)」と呼ばれ、町の西部を曽我川・飛鳥川が、中央部を寺川、東部を大和川(初瀬川)がそれぞれ北流しています。

やすまろさん米

田原本町の米作り

弥生時代のはじめ、稲作の技術をもった人たちが、現在の唐古・鍵を拠点として環濠集落を営み、米作りを始めました。唐古・鍵ムラでは、米作りだけでなく木や石、骨を加工して道具の生産も行われ、手工業を営む「まち」に近い性格を併せ持っていました。

また、出土した土器や動物・魚の骨、貝殻などから、海路・陸路を介して他地域と交流していたことも分かっています。全国で出土した弥生時代の絵画土器のうち、唐古・鍵遺跡からは約1/3に当たる350点が見つかっています。その中で最も著名なのが楼閣の描かれた土器片で、その絵画を元に1994年には復元した楼閣が唐古・鍵遺跡史跡公園内の唐古池のほとりに建設されました。この「復元楼閣」は、町のシンボルになっています。

田原本画像

復元楼閣

やすまろさん米

土器片(復元楼閣のモデルとなった絵画)
※画像提供:田原本町教育委員会

現在も大和の穀倉地帯の中心地であり、米作りが盛んに行われ、近年では大都市に近い地理的な条件を生かして、いちご、なす、ほうれんそう、トマトなどの野菜を出荷する都市型近郊農業が展開されています。大和野菜の1つ「味間芋(あじまいも)」の産地でもあります。

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味間芋(あじまいも)

マルト醤油

町の中心部・田原本地区は、近世には教行寺の寺内町として発展し、寺川が大和川に合流するのを利用して水運による商業活動が活発化しました。また、奈良と今井町(橿原市)を結ぶ中街道沿いの陣屋町として「大和の大坂」と呼ばれるにぎわいを見せていました。

町内の農産物や特産物は大和川の水運で大坂へ運ばれていましたが、米や大豆など生産地としての恵みを受けた食文化も育まれました。例えば、創業240余年の老舗味噌蔵、嶋田味噌・麹醸造元や、⼤戦後の⾷糧難により閉業し、約70年ぶりとなる2020年に醤油蔵の再興を果たしたマルト醤油です。いずれも昔ながらの天然醸造で「ほんまもん」の味を継承しています。

やすまろさん米

嶋田味噌・麹醸造元

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レスティ唐古・鍵

水運に代わる鉄道網の広がりから取り残された田原本は、明治期の衰退を経て、昭和に入り国道24号線が、次いで平成には京奈和自動車道が町を縦断しさらに利便性が向上しています。24号線沿いには2018年に町内初となる道の駅「レスティ唐古・鍵」が開業し、町内の新鮮な野菜、果物、花をはじめ地元や県下の特産品を販売。観光情報の発信拠点ともなっています。

その道の駅から車で約5分の距離に近鉄田原本駅と西田原本駅があり、京阪神と直結する近鉄橿原線、王寺方面へ抜ける田原本線の利便性から、町は大阪・京都のベッドタウンとなっています。 この2駅を降り立つと、昔話・桃太郎をモチーフにしたキャラクター「ももたん」の描かれた看板や幟(のぼり)を目にすることができます。全国各地に伝わる昔話や伝説に登場する桃太郎。そのモデルとなった第7代孝霊(こうれい)天皇皇子・吉備津彦命(きびつひこのみこと)は田原本町の黒田が生誕地。田原本は桃太郎の里でもあるのです。

ももたん